SSブログ

カンヌ国際映画祭で上映された「秋刀魚の味」⑦ 小津安二郎監督の人生を辿って… [映画]

スポンサードリンク

皆さん、こんばんは。
今日一日お疲れ様です。

それでは、小津さんの、その後をお届けしましょう。

小津さんは、
1938年(昭和13年)6月に伍長から軍曹に昇進し、
漢口(かんこう)作戦に従事。
以後も各地を転戦した。

1939年(昭和14年)6月26日、
九江(きゅうこう)で帰還命令を受け、
7月13日に神戸へ上陸、
原隊に復帰して除隊。

1年10か月に及ぶ戦場暮らしであった。

この1939年、
内務省の指示で映画法が成立。

これにより、映画を制作する前に、
事前に検問するというシステム等が導入されることになり、
映画が、国家に完全に管理され、制約を受けることになる。


小津さんは、中国戦線から復員した後の復帰第1作として、
「彼氏南京へ行く」というシナリオを書いていた。

それが、映画法の事前検問に通らなかったのである。

「彼氏南京に行く」の内容は、
「有閑マダム連がいて、亭主をほったらかしにして遊びまわっている。
このマダム達が旅行に行った先で、その中の一人の旦那が応召される
との電報が来る。驚いて、マダムが家に帰ってみると、亭主は、何事も
なかったかのように、グウグウ寝ていて、有閑マダムは、初めて、男の
頼もしさを知る…」といった筋。

が、映画法の事前検問に通らず、映画化を断念。

「彼氏南京へ行く」が映画法の事前検問をパスしなかったという事件は、
当時の映画人たちに、衝撃を与えた。

なぜならば、
そこには、戦争に反対するような要素が何も散りばめられてはいない。

「戦時下の非常事態にブルジョア婦人達が遊び歩く」ということや、
「赤飯を食べるべき出征の前の晩にお茶漬けなどを食べる」…


…様々な夫婦の間で交わされる、大切な、心の交流…
お互いの存在の大切さに気づく瞬間、
互いに、共にあるというだけで、幸せを感じる…

戦争映画というテーマを課された映画界の人々が、
どうにか、どうにか…と、
課された、条件と制約を受け入れ。

そこにさえも、大切なものを、
描き出そうと、挑戦されたにも関わらず…

映画法の側が、
「彼氏南京へ行く」に見たものは、
「お国が戦時下という大変な事態にある時に、遊びあるくとは何事か、
それも、婦人が…」

「出征の前の晩に、赤飯で送り出そうとしないとは、何事だ」と。

そうとしか、受け取られはしなかったのだ。

本当に、このように、打っていて、
涙が出て来てしまいます。

小津さん、そして、小津さんだけでなく、
当時の、映画界にあった方々…

戦場へ行かれ、そして、復員。

こうしたことを、現実として、身に引き受け、
生き、
そして、同時に、
その渦中の中で、
課された制約と条件の中で、

それでも、大切なことを…

だからこそ、
更に、大切なことをこそ、

届けよう
伝えよう

現そう

と、静かなる闘いを
積み重ねられていた

こうした人々の内にある

平和への願い…
平和の実現への
思いの深さ

そして、それを実現していく
覚悟と境地の、

いかに、
深いことか…

と、感じずにはおられません。

ちなみに、「彼氏南京へ行く」のシナリオは、
戦後に仕立て直され、「お茶漬けの味」になりました。

それでは、今晩は、ここまでにしておきましょう。

皆様、ここまでお読み下さり、
ありがとうございました。

明日は、
「彼氏南京へ行く」の映画化を断念した、
小津さんのその後…です。

お楽しみに。

おやすみなさい。

明日お会いしましょう。

スポンサードリンク


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。