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カンヌ国際映画祭で上映された「秋刀魚の味」⑨ 小津安二郎監督の人生を辿って… [映画]

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皆さん、こんばんは。
今日一日お疲れ様です。

さてさて、
映画の撮影ができないまま、
シンガポールで過ごすことになった小津さんの、
ミラクル言動をお届けしましょう。

私が、最も、注目したのは、ここからなのです。

こうした、空白となってしまったかのような時間に、
小津さんは、最初の一年で百本のアメリカ映画を見た、
というのです。

日本はというと、
1941年(昭和16年)12月8日以来、
アメリカの映画は1本も公開されていない。

こうした状況でのことなのです。


それにしても、これは、ものすごいことですよね。

いくら、時間はあるとはいえ、
また、報道部映画班という者であれば、
自由に、当時、敵であったアメリカの映画を見ることは、
たやすいことだったのでしょうか?

そうではないのです。

戦況が悪化していた当時、
接収されたアメリカ映画のフィルムというのは、
溶かして、塗料となる、貴重な資源であったのです。

けれども、
小津さんは、映写機の点検と称し、
秘密の試写をしたのです。

映写室の責任者となったカメラマンの原田雄春さんが、
小津さんの求めに応じて上映作品のリストを作成し、
見回ってくる将校に気づかれぬよう、
ひそかなる、深夜の上映会を主催していたというのです。

もともと、プロパガンダ映画といえる作品の撮影が、
シンガポール滞在の目的であった。

それを、
軍部の目をかすめて、
実は、敵国の映画を、来る日も、来る日も…
深夜になると、見ている、日本人の映画監督。

それも、ひたすらに…

なんだか、想像すると、不思議で、
奇妙な感じすらしませんか…。(笑)

けれども、それが、なんというんでしょうか…

その場に、溶け込んでしまうというか…

なんの、とらわれ、こだわりもなく…
飄々と、その場で、
自分のすべきことに、
今、できることは、これだ…という感じに、

ただ、ただ、生きられる…

これは、言うのは、簡単ですが、
そうそう、できることでもないのではないでしょうか…。

私は、
この小津安二郎という人物を語ろうとするときに、

この、
フィリピンでの、様子というのが、

とても、象徴的に、
小津安二郎という人間を。
表しているように感じました。


また、小津さん自身が、
気づかれていたかどうかはわかりませんが、

私には、小津さんの意識は、

戦争を自らも体験され、
常に、戦争と隣り合わせである、
刻一刻、
一日一日…

そして、親友である山中さんの死…

そうした、状況と体験の蓄積の中で、

いのちを落としていった者達の遺志をも
背負って、
自らの力に変え、

その時、その時に、
大切なものを、選び取り、
それを、実行されていたように感じてならないのです。


皆さん…
皆さんの心には、
今、どんな思いが去来しているでしょうか?


私は…
今回、小津安二郎という、
ひとりの人間の人生を、
作品とともに辿らせて頂くことで、

最も、最初に、私にとって、
個人的に、抱いた、疑問の答えを
頂いた気がしました。
それは…と…
ここからは、明日、お届けすることにしましょう。


それでは、皆様、
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。

明日は、今回、カンヌ国際映画祭のクラシック部門で
小津安二郎監督の「秋刀魚の味」が上映となったことで、
私が、抱いていた疑問…

この疑問に対して、今、私が感じていることを、
お届けしたいと思います。

お楽しみに…

おやすみなさい。

明日お会いしましょう。

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