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カンヌ国際映画祭で上映された「秋刀魚の味」 ⑩小津安二郎監督の人生を辿って… [映画]

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皆さん、こんばんは。
今日一日お疲れ様です。

今回のシリーズでは、
カンヌ国際映画祭のクラシック部門で、
「秋刀魚の味」が上映されたことを通じ、
小津安二郎監督の人生の、ほんの一端を辿らせて頂きました。


私は…
今回、小津安二郎という、
ひとりの人間の人生を、
作品とともに辿らせて頂くことで、

最も、最初に、
個人的に、抱いた、疑問の答えを
頂いた気がしました。

私は、この…
カンヌ国際映画祭のクラシック部門で、
小津安二郎監督の遺作となった「秋刀魚の味」が上映、
とのニュースを知った時、

真っ先に、思ったことがありました。


どうして?
って、思ったのです。

そして、今回の上映は、
小津安二郎監督の生誕110年、没後50年の、
記念イベントの一環であるとわかって来ました。

が、それによって、私には、

なぜ、2013年であるのか…?

なぜ、今、この時に、小津安二郎であるのか?

という疑問が浮上して来たのです。

そして、
私は、その答えが、

トーマス・H・インス監督の
Civirization(シヴィリゼーション)を見たり、

小津さんの、足跡を、調べてみて、

実感として、
深く、納得するものを、頂いた気がします。


今、私の心に去来していることを、
皆さんに、お届けします…。


小津さんという方は、

戦争、戦争、戦争…
そして、昭和の高度成長期に差し掛かる
1963年(昭和38年)12月12日の、
還暦で亡くなるまでの
激動の時代、
激動の現実の中を、生き

生きながらにして、
大切なものは何なのか…
大切なものは何か…と、

常に、問い、

それを、求め続け、
求め続け…

それを、表そうと、アクセスし続けた。


かつ、
ご自分の現実の人生において、
切り離さずに、

生きた。
生きた。
生き続けた。


何と、雄々しい魂であろうか。


しなやかでありながら、
決して、あきらめず、
熱を注ぎ続ける。

そんな
極めて、強い、
人間の姿を、
私は、そこに見た。


常に、変化し、押しとどめることができぬ
それも、激流のような現実を受け入れながらも
こんなふうに
生きることができるものなのか…。


自らの願いへの思いを忘れず…
それどころか、
その願いを
ますます強く
深いものへと自らの内に刻んでいく。


戦争で、自らの映画の仕事を中断されようが
幾度、そのようなことが起ころうが…
それをそのまま引き受け、

そして、更に、その後、再び、
同じ所へと戻って行く…。

もう一度、
もう一度…と、

何度でも、
何度でも、
同じ所へと戻って行く…。

そして、そこから
生みだされていくものは


それまでの過去を打ち消し
新しいもの
目新しいものを追い…というわけでもなく…

むしろ
何か…
いかなる世界の側の変化が起ころうと
そして、その流れが、
どれほどの激流であろうとも、

それでも
変わらぬもの…。

常に、
根底で流れ続けている、

人間と人間のつながり…

人間同士の絆
家族のつながりというもの…。

そういった
通常であれば
目に見えず
捉えどころがなく
目に見える形に表すことが困難であるはずの…
抽象的でありながらも
とても、大切な何かを…

あなたは、
描き出し続けていた。

何か、あなたの作品の中には、
そういったものが
集約されているかのうようです。


人間とは、
こんな風に、
生きることができるのか…と…。

私は、頭を垂れる…。



そして、私は思う…。

今、この時代、
この世界から、
送られ続けているメッセージとは
何なのだろうか…と。



この2013年という年…
東北大震災後から2年たった今という時…
未来の日本の土台を本当に作らねばならぬというこの時…

2013年のカンヌ国際映画祭において、
小津安二郎監督の「秋刀魚の味」の上映がされ、
また、この一年が、小津安二郎監督の
生誕110年、没後50年の記念イベントの年であったことは


たんなる偶然であったのだろうか…。
ただの…
偶然なのだろうか…。

私には、
偶然とは思えない…。


まるで、小津安二郎監督が心を注ぎ続けた作品と、
そして、小津安二郎監督自身の人生が

大切なものを問い直せ
何を中心に据えて10年後、20年後、30年後、50年後…
こうした日本の未来のヴィジョンを描くのか…

そういったメッセージを送られているように
感じられてくるようで…。


戦争という悲惨を乗り越え、
日本は、確かに、
その後の、何十年という時間の中で、
あたかも、
経済的にも豊かで、
そして、強い国になったかに見えた。

けれども、
バブルがはじけ、

私達は、何を体験したのか。

何を失ったのだろうか。

失ったもの
失った絆は
どれほど大きく、深い痛みを残したのだろうか…。

あの出来事で、
家族がバラバラになり
親子や
夫婦の溝が
深く大きなものになってしまったという人々も
決して少なくはない。

そして、
そのことは、
その次の世代へも
何等かの影響を及ぼしている。


金融というシステムにより
世界はこれまでに経験したことのないような
金融危機を生み出すことになった。

そして
経済格差が拡大し
世界は
豊かな国と貧しい国という
2つに分かれてしまった。


そして、私達は、
再び、立ち上がろうとしているのである。
その真っ最中にあるのである。

私達が、既に作り出した、こうした現実は
何が生みだしたのか。


あの時…
私達の内に…
自分達さえよければ、
今さえよければ…

そんな思いが蔓延してはいなかっただろうか…

こうした思いに
あまりにも自然に
そして、あまりにも当然のように
突き動かされてはいなかっただろうか。


では、
私達は、ここから何を目指すのか。


私達は、
再び、豊かになろうと、
未来に思いを馳せている…。


けれども
次に目指すものは何であるのか。
どこを目指すのか…。

バブルの崩壊…
あの悲惨を
繰り返してはならない…。

決して繰り返してはならない…。

豊かになり
そして、絶頂から転落…
あのバブルと同じ二の舞を
繰り返してはならない。


では、
私達は何を求めるのか
何を目指すのか…。



豊かさの次である。

それは
豊かさの向こうである。


あの時には、わからなかった生き方を…
今ならば、
私達に、できるのではないだろうか。

あの時には、抱けなかった智慧を
今ならば、
私達は、抱くことができるのではないだろうか。


豊かさを目指しつつ、
同時に、自分以外の人々と
豊かさを分かち合って行くヴィジョンを描こうではありませんか。


豊かさを目指しつつ
同時に、環境を浄化していく
プロセスの智慧に、思いを馳せていこうではありませんか。

豊かさを、どうしたら、
全体に還元していくことができるのか
その関わりの智慧を、見出していこうではありませんか。

そして、
そうした壮大で希望のある未来のヴィジョンに向かって

より深い心で
より深くに根を降ろし
そして、未来に、より高くに飛翔する為に
今を生きようではありませんか。


さあ、源へと戻ろう。

自らの中心につながろう。

自らの中心を思い出そう。


過去の失敗、
あの時にわからなかったこと…見いだせなかったことを、
あの時に救えなかったことを、
あの時に守れなかったこと、

あの後悔が、深い後悔へと変わり、
深い後悔が、より深い願いへと結晶し、

そして、
中心からの意志として、昇華していきますように。


さあ、もう一度、立ち上がろう。






皆さん、ここまでお読み下さり、
ありがとうございました。

明日は、小津安二郎監督の、
人気映画ランキングを、お届けしましょう。
小津安二郎監督のシリーズは、明日が最終章です。

お楽しみに。

それでは、皆さん、おやすみなさい。
明日、お会いしましょう。


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